心屋さん「虐待していいよ」の意味

2020/01/15 ブログ

川崎のカウンセラー養成スクール楽桜堂です

心屋さんがたまに、よく?バッシングを受けますが

やはりカウンセラーというデリケートな仕事を公開でする難しさを感じます

 

「叩いていいのよ、その子は叩かれに来たのよ」的な言葉に

批判が出るのも当然ですが

心屋流の言葉です

虐待ママ本人はとても救われているそうです

 

「叩かれたその子はまた、大人になって心屋みたいなカウンセラーに出会うから大丈夫」

 

心屋さんは言葉少なにインパクトのある言い方で

当事者の方を癒されます

 

批判されている方の意見はこうです

「そりゃ叩くことを肯定すれば、虐待者本人は心は軽くなるだろうけど

でも、される方の苦しみ悲しみを知っているか

虐待していい、ではなく、いかに連鎖を止めるかじゃないか?

個人セッションでいうならともかく、公開でいうから読んだ方は傷つく」

 

 

この件について、真実を説明させていただくと

というか、こういう風に説明されれば誰も傷つかないんじゃないかなと思います

 

虐待される子は確かに虐待ママを選んで生まれてきます

心が癒されていないママで、手をあげることも知ってて生まれています

なぜならそのママが自分の課題に一番ふさわしいからです

自分が過去世から持っている課題、支配とか、虐待とか、自分の課題でもある場合しか

虐待ママを選びません。

ですから虐待されることは魂の計画通りです

もしこの子が、素晴らしい問題の無いママのところに生まれてしまったら

過去世からの課題はくすぶり続けたまま一生を終えることになってしまいます

 

しかし今回、過去世からの課題カルマを完全にクリアにしたいと思ったとき

やはり、虐待ママに虐待してもらう必要があります

そうすれば大きなトラウマがつくられますから、そのまま穏やかに大人にはなれません

思春期に精神を病み、心理を学んだり、カウンセラーを訪ねることになります

そこで深く学びクリアにする作業をして、過去世からの課題を一掃することができます

 

すべてとは限りませんが、過去世では親子が逆で、子の方が親の時、暴力をふるっていて

逆の立場を体験したくて体験している、という場合もあります

 

こういう霊的なこと、魂の計画ということを考えると

心屋さんの言葉は間違っていません

 

ただ、心屋さんは物事の一面しか言っていないから批判を受けてしまうのだと思います

もう一つの側面というのは、批判した方の言うような「連鎖を止める」という件です

ママの代でも、子の代でも、氣づいた時から連鎖を止める統合作業をしていくことができるということ

未来は選べるということ

 

心屋さんは自分の弱さを認めて受け入れてあげる天才です

そこに徹するカウンセラーのような氣がします

自分を責めないことで結果癒されてます、そうすると結果虐待も減るのでしょう

 

虐待ママに虐待しないように自分の心を癒していくといった作業はわざわざはしてないのかもしれません

わからないけど、それはまた別のカウンセラーのところに行った方がいいのかもしれません

 

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楽桜堂

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